「すみません」は、言えている。それなのに、なぜか相手の表情が晴れない。
医療の現場では、こうした場面に何度も出会います。言葉としての謝罪はある。けれども、相手には届いていない。その差がどこから生まれるのかを、新人に最初に伝えたいと考えています。私たちのチームでも、後輩を指導する立場のスタッフが、くり返し伝えてきたテーマです。
「ありがとう」より、「ごめんなさい」が難しい理由
感謝を伝えることは、それほど難しくありません。「ありがとう」の一言で、相手の気持ちは温まります。
謝ることは、そうはいきません。謝るとは、自分の事情や言い分をいったん脇に置き、相手を困らせた、悲しませたという事実を認めることだからです。人は誰でも、「自分は悪くない」と思いたいものです。だから謝るには、勇気がいります。
それでも、医療の現場では「自分がどう思うか」より、「相手がどう感じたか」が先に来ます。謝ることは、自分の価値が下がることではありません。相手を大切にしているという、意思の表れなのです。
表面の「すみません」と、本気の謝罪
「とりあえず謝っておけばいい」という空気は、どこの職場にもあります。けれども、形だけの「すみません」は、かえって「流された」という気持ちを相手に残すことがあります。
本気の謝罪には、3つのことが含まれます。
- 起きたことを、自分のこととして受け止める
- 相手がどれだけ困ったのか、傷ついたのかを想像する
- 同じことをくり返さないために、次の行動を変える
言葉で終わらず、その後の行動まで含めて、はじめて謝罪になります。患者さんやご家族に対して、意図せず不安な思いをさせてしまったとき。「すみません」で終わるのか、「どうしたら、この方の心が少しでも軽くなるか」を考えて動けるのか。その違いは、受け取る側の安心に大きく響きます。
謝れないのは、性格の問題とは限らない
ここからは、チームを預かる側の話です。
謝れない人を見ると、その人の性格の問題だと考えたくなります。けれども、謝ると強く責められる、謝った人だけが不利になる。そうした空気があるチームでは、誰でも謝れなくなります。謝罪を避けるのは、身を守るための自然な反応だからです。
謝れるチームをつくる近道は、上に立つ人が先に謝ることだと考えています。院長が自分の判断の誤りや、説明の足りなさを認める。その姿を見て、はじめて「ここでは謝っても大丈夫だ」と伝わります。
そしてもう一つ。謝ったことを、責める材料にしないことです。起きたことは、人を裁くためではなく、仕組みを見直すために使います。手順のどこで迷いが生まれたのか。確認の順番に無理はなかったか。人の問題として片づけず、仕組みの側で直せることを探す。そうすると、謝ることが「次を良くする一歩」に変わっていきます。
「無知の知」と、実った稲穂
ソクラテスの「無知の知」は、自分がまだ知らないことがあると気づくことが、学びの始まりだという考え方です。
謝ることは、自分の足りなさに気づく機会でもあります。医療の現場に、同じケースは二度とありません。「知っているつもり」でいるより、「まだ学ぶことがある」と思い続ける人のほうが、確実に伸びていきます。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉もあります。実をつけた稲ほど、穂は低く垂れます。経験を積んだ人ほど、素直に謝れる。新人に伝えたいのは、謝る力は未熟さのしるしではなく、成長のしるしだということです。
謝る力は、チームの信頼をつくる
本気で謝れる人は、周りから信頼されます。信頼のあるチームでは、小さな迷いや失敗が早く共有され、大きな事故の手前で止まりやすくなります。謝る力は、人柄の話であると同時に、医療の質と安全の話でもあるのです。
新人に「謝る力」を伝えることと、謝っても大丈夫なチームをつくること。この二つは、同じ一本の線の上にあります。
関連して、迷ったら「安全」――チームの価値観に優先順位をつけるも書いています。
この考え方を自院でも取り入れてみたい医療機関の方は、「医療機関の方へ」のページからご連絡ください。
文:小森広嗣(小児外科専門医)
