多くの医師と同じように、私の歩みも、大きくて堅牢な城のような病院から始まりました。そこでは「正しさ」が何より重く、精密な地図の上で、間違いなく目的地にたどり着くことがすべてだと信じていました。
ところが、地域という大地に降り立つと、城で学んだ地図が、ときにまったく役に立たないことを知ります。
目の前に広がるのは、教科書どおりの典型例のほうが少ない、無数のグレーゾーンです。同じ病名なのに、症状は一人ひとり違う。昨日と今日で、まるで別の子のように状態が揺らぐ。
「正しさ」とは、何だったのだろうか。その問いの答えを探すうちに、私は書くことを始めました。手探りで書き足してきた、自分なりの「地域医療の教科書」の、いちばん大切なページを、ここに置いておきます。
第一章 診断ではなく、状態を診る
地域の外来では、「診断をつけなければ」という思いから、いったん自由になる必要があります。
暮らしの中で突然起きた不調の、その一瞬だけを切り取って、すべてを言い切ることは、本来とても難しいことです。だから最初の仕事は、診断名をつけることより、目の前の子の「状態」をつかみ、ご家族と共有することなのです。
- 活気はあるか
- 水分はとれているか。おしっこは出ているか
- 呼吸や脈など、体のサインは落ち着いているか
- その子とご家族は、いま、どんな暮らしの状況にあるか
こうした状態こそが、すべての判断の土台になります。診察は、医師が正解を言い渡す場ではありません。ご家族と一緒に、いまの現在地を確かめ合う共同作業です。
第二章 一本の線ではなく、複数のシナリオを語る
揺らぎが当たり前の大地で、これからを一本の線で言い切るのは、かえって不誠実です。
お渡しすべきは断定の予言ではなく、考えられる道すじを、いくつかのシナリオとして示すことです。
「いまの状態からは、Aの可能性がいちばん高いと考えています。ただ、明日Bという様子が出てきたら、Cという別の道を考える必要があります。今夜はこう過ごしていただいて、もしBのサインが見えたら、すぐにご連絡ください」
起こりうる先を共有しておくと、ばくぜんとした不安が、具体的な備えに変わります。
ただ、不安でいっぱいのときに聞いた説明は、家に帰るころには半分も残っていないことがあります。だからシナリオは、口で伝えるだけでなく、帰宅後に落ち着いて見返せる形でも渡しておきたいのです。紙の資料でも、動画でも、仕組みでもかまいません。説明を省くためではなく、説明を届けきるための工夫です。
第三章 知の権威ではなく、誠実な水先案内人であれ
医師は、何でも分かるわけではありません。分からないこともあります。その事実から目をそらさないことが、地域の医療では大切です。
「分からない」と認める勇気は、「知っている」と言い切ることよりも、ずっと信頼につながります。
「この皮膚の様子は、私には判断が難しいところです。ただ、お子さんの状態は、いますぐ急ぐものではありません。数日のうちに、専門の先生におつなぎします」
自分の限界を認め、安全のためにいちばん良い道を指し示す。それが、水先案内人としての責任の果たし方なのです。
第四章 病ではなく、暮らしに処方箋を
目の前で、咳に苦しむ子がいます。私たちの仕事は、「喘息かどうか」という診断名をつけるところで終わりません。
まずは、その子のつらさを和らげること。そのうえで、病気を抱えながら、どうすれば学校に通い、友だちと笑い、家族と穏やかに過ごせるのか。暮らしの過ごし方を、一緒に考えて提案することです。
病ではなく、その子の暮らしに処方箋を書く。私が「全人格的アプローチ」と呼んでいる考え方の、中心にあるものです。
この教科書は、まだ余白だらけ
この教科書には、まだたくさんの余白があります。地域医療は、完成された地図をなぞる旅ではありません。答えの載っていない大地を、ご家族という旅の仲間と一緒に、一歩ずつ手探りで道をつくっていく営みです。
医療の「正しさ」と「現実」の間で、静かに迷っている医療者の方に、この数ページが小さな灯りになればうれしく思います。
関連して、説明を、診察室の外に置く ── 事前教育型の医療のはじめ方も書いています。
この考え方を自院でも取り入れてみたい医療機関の方は、「医療機関の方へ」のページからご連絡ください。
文:小森広嗣(小児外科専門医)
