最悪を数えるのは、最善を取りにいくためです

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私は小児外科医です。手術の前には、起こりうる最悪をすべて数え上げます。

心配性だからではありません。最悪を全部数えられる人だけが、最善を選べるからです。

最悪を数え上げるのは、攻めるための準備です

先を読み、手を打ち、あらゆる場合に備える。そうしなければ、子どもの命は守れません。それが、私の仕事の作法になりました。

これは慎重さではありません。攻めるための準備です。

どこまで悪くなり得るかを全部見てからでなければ、どこまで攻めていいかが決まりません。最悪を数えない人は、実は大胆にもなれないのです。

一点に集中したことが、届くための道でした

そして私は、一つのことに全部を注いできました。

これは、いま振り返っても正しかったと思っています。専門医の技術は、分散させながらでは身につきません。二十年、生と死の狭間にある子どもの体に手を触れ続けて、ようやく渡せるものができました。

一点に集中して掘り切ることは、ビジョンに届くための、いちばん分かりやすい形です。最初から「バランスが大事だ」と分散していたら、私は何者にもなれませんでした。

掘り切ったところで、問いのほうが変わりました

人の命に関わる仕事です。やりがいは、確かにありました。それでも、本当にこれだけでいいのだろうか、という問いが残りました。

これは「足りなかった」という話ではありません。次に取りに行くものが、変わったのです。

一つの山を登り切ると、そこから次の山が見えます。見えなかったのは、登っていなかったからです。

同じ道で、隣の人が見ていたもの

そのころ、犬の散歩をしていても、私が考えていたのは安全に歩くことだけでした。鳥の鳴き声も、花の名前も、目に入っていません。

同じ道を、隣を歩く人と一緒に歩いています。それなのに、私にだけ見えていないものが、いくつもありました。

見ようとしなかったのではありません。一点に力をかけている最中は、そういうものです。

仕事がすべてでした。ご飯は、生きていければいい。遊びは、コーヒーを飲んでいれば十分だと思っていました。あそこへ行こう、これを食べよう、と連れ出されて、美術館にも行きました。気づけば、出かけるのが好きになっていて、東京にこんなに楽しい場所があることを、それまで知らずに生きてきたのだと分かりました。

広げることは、集中を捨てることではありません

ここが、いちばん誤解されやすいところだと思います。

バランスを取るというのは、一点集中をやめることではありません。掘った穴を埋めて、平らにならすことでもありません。

掘り切った一点は、そのまま土台として残します。その上に、体を、心を、家族を足していく。足し算であって、引き算ではないのです。

一つに寄せるほうが、実は簡単です。考えることが減るからです。広げるほうが、ずっと難しい。だからこれは次の段階の課題であって、前の段階の失点ではありません。

次の段階は、一人では踏み出せませんでした

分かっていても、自分の作法は自分では変えられません。

動かしたのは、隣にいた人でした。止めたのではありません。先に動きだして、こちらを連れ出したのです。

仲間の力を借りる。家族の力を借りる。それには、勇気が要りました。けれどそこから、私の人生は何十倍にも広がっていきました。

構えていない状態で立てることが、いちばん強い

最悪を数える力は、いまも手放していません。一点を掘る力も、そのままです。そこに、見えるものが増えただけです。

構えていない状態で立てることが、いちばん強い。力んでいる人は、そのぶん一つの方向にしか力を出せません。自然体でいられる人は、必要なときに、必要な方向へ、全部を出せます。

私は、それを二十年かけて学びました。遅れたとは思っていません。掘り切ってからでなければ、この話は分からなかったからです。

関連して、迷ったら「安全」――チームの価値観に優先順位をつけるも書いています。

この考え方を自院でも取り入れてみたい医療機関の方は、「医療機関の方へ」のページからご連絡ください。

文:小森広嗣(小児外科専門医)

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この記事を書いた人

小森広嗣

小森広嗣

小児外科専門医・医学博士。子どものお腹と栄養を、構造と機能の両方から診ている臨床医です。説明を診察室の外にも出し、少人数のチームでも毎日回る仕組みづくりに取り組んでいます。